てぃーだブログ › 波乗り人生 › 思いっきりサーフィンしよう。

2006年09月21日

思いっきりサーフィンしよう。

こんばんは。
最近、スーサイドの波が小さいですなぁ。

先日、セット間隔10分、膝から腰サイズでスクールを行いました。
確かに波は小さいけど、しっかりと波を見て、ピークから
波をキャッチしてテイクオフできれば十分ライディング可能なコンディションだったんです。

その日は連日のスモールコンディションで上級者はゼロ。
海には今年始めたであろうサーファーが4,5人。
その日初めて波乗りを経験した生徒さんでも、「波、小さいですよね~」とおっしゃってました。

「全然、問題ないですよ。簡単に乗れますよ。」私は生徒さんに言いましたが半信半疑の生徒さん達。
その後、私が後ろから押したり、パドルを開始するタイミングを言うと、乗って、横にも走れました。

つまり、初心者の方が一番上級者と違う点は波待ちのポジション、波を見つける目、パドル力、イメージだと思います。

波が小さかったり、セット町が長い時、時やオンショアが強くて、荒れている時などに思うんですが
波を見ているんじゃなくて人を見て、波待ちのポジションを決めている方が多いような・・・

思いっきりサーフィンしよう。

同じポイントの中でも、波が割れている場所は何ヶ所かあります。
必ずしも、沖で割れているセットの波が一番良い波だとは限りません。
その日の潮の状況や波のサイズ、コンディションでも良い波の割れる場所は変わってきます。

人が気付かない波を見つけることで波に乗れる数も変わってきます。
それにその波は自分だけが狙っているので、波の割れ方も分かリ練習には最高となるのです。

波をしっかりと見て、ピークまで動きパドルをやってみる。
たとえ乗れなくてもパドル力、波を見きわめる目は確実にレベルアップしていきます。
限られえた時間でしか波乗りが出来ない沖縄での波乗り上達方の一つではないでしょうか。



Posted by yasusan at 23:07│Comments(2)
この記事へのコメント
川内くん、サーファーとして、良い参考資料の掲載がありましたので、書き込ませていただきます。(2006/10/01発行 『NALU10月号増刊:海楽№3』より抜粋)

 ブライアン・ケアウラナはウォーターマンの代名詞と呼べる存在である。マカハの伝説的なサーファーでありライフガードであるバッファロー・ケアウラナを父に持ち、幼い頃から海と親しみ、高校卒業後自らもライフガードとして勤務。現在は主に映画業界を活動の場とし、海のスタントでのウォーターパトロールやコーディネート、ディレクションを行っている。どんな波も乗りこなすサーファーでありながらみんなが安全に海を楽しめることを第一に考えてきたブライアンが考える、真のウォーターマンとは…。

 1961年、マカハの生まれ。初めてのサーフィンは生後3ヶ月の時。父親が私を連れてトリプルオーバーヘッドの波に入ったらしい。母親は泣き叫んでいたと聞いたよ。それ以来ずっと、できる限り毎日、私は海に入り続けている。父親は70歳を超えた今もまだ毎日サーフィンをしているけど、海は人の若さを保ってくれるようだ。若さの源だね。海に入ることはエクササイズでもあり、肉体を健康に、強くしてくれる。逆に海がないと全てのバランスが崩れてしまう。陸にいて仕事ばかりしているとストレスがたまるけど、海がそれを全て洗い流してくれるんだ。
 多くのサーフスポットではサーフィンは個人的なものだけれど、マカハではコミュニティのレクレーションとしての意味も持っている。それは、マカハの人たちがより海に根差した人だということに関係していると言えるだろう。マカハの人たちは、波が大きくてもフラットでも海にいる。フラットならセイリングやダイビング、あるいはビーチで遊んだり。波が大きければサーフィンやハイドロフォイルなど、いろんな方法でいつも海で遊んでいる。ライフスタイルが違うんだ。
 マカハは伝統や文化を理解して、過去から学ぼうとしている。ボディーボード、カイト、カヌー、ジェットスキー、ロングボード、ショートボード、ガン…。「あなたはボディーボーダー」「私はショートボーダー」「彼はロングボーダー」というようにひとつの道具にこだわっている人たちに、そうじゃないということを理解させる役割をマカハは担っているのかもしれない。道具はなんでもいい。毎日海で楽しむこと、それが一番なんだからね。
 本来、全てのサーファーがライフガードである必要がある。私は「海で誰かを助けたことがあるか?」という質問に「Yes」と答えられる人だけがサーファーだと思う。答えが「No」だとしたら、その人はまだサーファーとしてはスタートしたばかり。本物のサーファーとは言えない。海をより深く知り、海の一部であろうと考えるなら、他の誰かを助けるという意識を持つべきだ。そしてそのためのスキルやテクニックを学ぶことがライフガーディングだ。マカハには父をはじめ世界有数のライフガードがいるけれど、彼らはライフガードがサーフィンと同じようにライフスタイルであることを教えてくれた。その上で、必要な知識を持ち、道具を使いこなすんだ。
 私のライフガードとしての仕事も、そういう風に始まった。いつも海を見ていることからね。ワイアエナ・ハイスクールを卒業後、ライフガードとして働き、プロフェッショナル・サーファーとしても活動した。最初はプロサーファーとして旅をしながら、パートタイムでライフガード。それから、フルタイムのライフガードになり、プロサーファーはパートタイムになった。その後もライフガードの仕事を続けながら、USアーミーからリスクマネジメントを学ぶなど、ライフセービングについて多くの知識を得た。そこから私は海のリスクマネジメントをつかんだ。それは海の中で何が危険かを明確にするためのプロセスだ。溺れたり、首の骨を折ったり、クラゲに刺されたり、サメに襲われたりというリスクを認識し、その中でどうやって安全を守るかを理解しなければならない。
 私はビーチにいる時はいつも海に注意を払っているよ。こうして海を見渡した時(インタビューはビーチで行われた)何事もなければ、自然で穏やかな状態だ。もしどこかに問題があれば、すぐにわかる。何かが起これば、人の注目が集まり、不自然な状態になるものだ。そこで大切なのは、最悪な状態をイメージすること。たとえばマーク・フーがワイプアウトした時、そこにいたサーファーたちは普通のワイプアウトだと思い、「マーク・フーだから大丈夫に違いない」と考えた。でもライフガードは「きっと大丈夫」ではなく「何か問題がある」と考える必要がある。そして、「何か問題があるなら準備はできている」という状態でなければならない。「あぁ、きっと平気だろう」と考えていたら、何か問題があった時に遅すぎる。何か悪いことが起こったらことを仮定し、準備する。そうすれば驚くこともないし、冷静に対処できるものだ。
 そういう考え方は、おそらく父から学んだ。よく見て、よく見て、よく見渡して、常に最悪なシチュエーションをイメージしておく。父だけでなく、私の兄弟や友達も皆同じだ。なぜなら、我々はたくさんのアクシデントを見てきたから。パドルアウトするサーファーと乗ってくるサーファーが接近したら、ぶつかって怪我をするかもと考える。海の中に4人の子どもたちがいれば、海底の起伏に足をとられるかもしれないと考え、誰が泳ぎが上手で誰が苦手なのかを観察する。そして、振り返った時に3人しか見えなければ、どこに行ったのかと目を凝らす。そんな風に常にまわりを見渡している。
 でも我々はそういうことを緊張して硬くなりながらやっているわけじゃない。楽しみながら、話をしながら、時にはサーフィンをしながら、まわりのみんながちゃんと楽しめているか見守っているんだ。不安にかられ過保護になって子どもをつかんで放さないのではなく、行かせて、歩かせ、でも見守り、教育する。我々は何が起こりえるかわかっているからね。
 私はいつも自分が未来に行った気持ちで考えている。たとえば、水遊びをしているあの子が危ないと感じたら、母親に声をかけてどこで泳がせたらいいか教え、泳げる子に危なくないようにその子に教えるように言う。子どもを失って「あぁ、あの時あそこにいればよかったのに…」と嘆くのではなく、今という過去にいて、未来を変えるチョイスをするんだ。
 でも、サーファーは必ずしもそう考えない。一部のサーファーはただ自分の楽しみのためにサーフィンするだけ。それはハワイでも同じだ。けれど、ウォーターマンとは、いかに波に乗るかよりも、サバイバルできる人間である。魚を獲り、どんな乗り物でも使いこなし、どんなコンディションでも最大の楽しみを得ることができる。それが真のウォーターマンだ。そして、真のウォーターマンは何も必要ない。なぜなら何もなくても楽しめるから。サーフボードがなければボディーサーフィンをすればいいし、カヌーを借りてもいい。あるいは木でパイポボードを作ったっていい。ウォーターマンとは、海という場所で、自分で何かを作り出せる、あるいは起こせる人だ。そして彼らは、それがサーフィンではなくサバイビングだと知っている。
 最近では、多くのサーファーが海に来るとすぐに沖に出て行く。でも、私が子どもの頃、父やジョウージ・ダウニング、グレッグ・ノールは、ビーチに座ってしばらく海を見ていた。少なくとも30分くらいはね。パイプラインでジェリー・ロペスを見た時も、彼は同じようにビーチで海を見ていた。見て、学ぶこと。セットに何本の波があるのか。波はどれくらいの大きさか。風はどちらから吹いているのか。水深はどれくらいあり、潮はどれくらい引いているのか。全ての危険を頭に入れた上で「OK、行こう」と決断する。どこからパドルアウトするのか、セットの何本目の波を選び、どこでテイクオフし、どこでキックアウトするのか。父やジェリー・ロペス、ジョージ・ダウニングといったサーファーたちは、そういう風に考え、行動した。我々は過去のサーファーたちから、もっと多くのことを学び、もっと強いサーフィンのセンスを受け取らなければならない。サバイビングのためのサーフィンをね。
 それができないから、安全な波でばかりサーフィンをすることしか知らない。波には乗りたいけれど傷付くのはいやだから、波が大きくなるとどうしていいかわからない。そして、大き過ぎるからやめておこうということになる。そこにレベルの違いがあることを理解することが必要だ。けれど、彼らの行動を見ていると、それも仕方がないと思う。インターネットで行き先を決め、着いたらすぐに海に入り、終わったら食事をして帰る。彼らは海で時間を過ごしていないんだ。けれど、マカハでは、朝起きたら海に行き、泳いだり、走ったり、ボディーサーフしたりして、話をし、潜って、それからサーフィン。波に乗って戻ってきたら、潜って獲ったものを料理し、またサーフィンしてと、一日中ビーチにいる。仲間と一緒にいることを楽しんで、いろんなことを話す。
 サーフィンにしても同じ。グループやコミュニティでサーフィンしていれば、そこにはたくさんの目がある。父はビーチで最高のライフガードだけれど、彼は100の目を持っているんだ。父が後ろを向いていても、仲間たちがいろんなところを見ていて、何かが起こると声をあげる。それと同じように、友達とサーフィンしていれば、たとえば水の中に黒い影を見つけたら「カメか?」「サメか?」とお互い声をかけ、誰かがワイプアウトしたらみんなが一度止まって安全を確認する。もしトラブルに遭っても信頼する人がそこから救い出してくれるという安心感は何事にも代え難い。そのためにも、すべてのサーファーがライフガードであるべきなんだ。

生徒さんへの良き指導、頑張ってください。今週末、私は、石垣に行ってきます。
Posted by at 2006年09月22日 08:42
↑申し訳ありません。名前を入れるの忘れました。髙野です。
Posted by 髙野 at 2006年09月22日 08:44
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。